時 代 考 証
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武隈の松
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詠み人
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歌
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初代の松
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二代目の松
初代が枯れていたので藤原元良(善)が小松を植えた
平安時代
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藤原元善(良)
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みちのくにの守にまかり下れりけるにたけくまの松の枯れて侍りけるを見て小松を植ゑつがせ侍りて任果てて後
うゑし時 ちぎりやけしむ 武隈の松を
ふたたび あひ見つるかな
松を植えた後年再び赴任した時詠んだ歌
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藤原 実方
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みちのくに ほど遠ければ たけくまの
松まつ程ぞ 久しかりける
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藤原 為頼
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たけくまの松を見つつやなぐさめん
君がちとせの 影にならひて
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深覚 僧正
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武隈の 松は二木を み木といふ
はよくよめるには あらぬなるべし
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野火で焼け
松はなかった
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能因 法師
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武隈の 松はこのたび 跡もなし
千歳をへてや 我は来つらむ
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三代目の松
源 満仲が植えた
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四代目の松
橘 道貞が植えた
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橘 季通
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たけくまの 松は二木越え みやこ人
いかがと問えば 三木と答へん
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「松」は無かった
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橘 為仲
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武隈の 跡をたずねて ひきううる
松や千歳の 初めなるらん
故郷へ 我は帰りぬ 武隈の
まつとはたれに つげよかと思ふ
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四代目の松
1023年頃
藤原孝義が切って
名取川の橋にした為見れず
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西行 法師
詠み1186年
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枯れにける 松なき宿(跡)の武隈は
みきといひても 甲斐なかるべし
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五代目の松
植樹者:不明
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宗久 法師
詠み1351年
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武隈の 松の木陰に たびねして
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松尾 芭蕉
詠み1689年
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桜より 松は二木を 三月越し
「めでたき松のけしき」と書いて賞賛した
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挙 白
きょはく
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武隈の 松みせ申せ 遅桜
旅の餞別吟 芭蕉翁がそちらに着く頃には、もう桜も散ってしまうだろうが、せめて武隈の松だけはお見せしたいものだ。
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六代目の松
仙台藩七代藩主伊達重村の命で1780年植樹
1862年烈風で倒れる
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七代目の松
1862年(文久2年)
岩沼の呉服屋
作間屋万吉が植樹
現在に至る
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